『モンテッソーリ教育に巡り逢えた幸せ』

長男は人見知りの強い内向的な性格で、自宅近くの某私立幼稚園に一旦は入園したものの馴染めず、登園を拒むようになりました。

園の先生にご相談すると、「子供はみな同じ。はじめはいやがって泣いていても馴れればケロリとしている。3日で馴れる子もいれば1週間、1カ月、半年かかる子もいるが、それだけの違い。とにかく馴れるまで、無理やり登園させるしかない。」と言われ、なだめたり、すかしたり、時には騙したりして連れて行きましたが、そんなことをすればする程息子の不安は大きくなるようで、食事ものどを通らない位憔悴してゆきました。そんな姿に「もう少しこの子にとって無理のない保育をしてもらえる所はないものか・・・」との思いから、ぬまたこどもの家をお訪ねしました。

園長先生の「この子のプログラムはこの子自身が持っています。ひとりひとりのそのプログラムを読みとる目を持って保育をするのがモンテッソーリ教育です。」とのお言葉に心から共感しましたし、また息子本人も少人数の家庭的な雰囲気に心を引かれた様子でしたので転園させていただくことに致しました。

入園後は、実にきめ細かな観察に基づいて、保育時間の長さから、教具の種類、日常の生活習慣に至るまで、本人の心身の成長を見極めながら、少しずつ自立に導いて頂き、本当に無理なく自然に園の生活に入ってゆくことができました。このぬまたこどもの家での2年間に、少人数の縦割りクラスの中で、年齢や性格の違うお友達を思い遣ることや、理解しようと努力することも学び、精神的にも成長したと思います。そして私自身も親として、たくさんのことを学ばせていただきました。

息子は小学校に入学してからも親の心配をよそに不思議な程すんなりと馴染み、毎日楽しそうに通っています。その日に習った新しいことを、目を輝かせて話してくれる姿は、入園前には想像もできないことでした。これも、あの大切な時期を、ぬまたこどもの家で過ごさせて頂いたおかげと心から感謝し、少し回り道はしましたが、母子共にモンテッソーリ教育に巡り逢えた幸せを日々感謝しています。

N.M(故人)

 

【園から】

発表会の短い劇を練習していた時、友達のセリフを全部覚えていて、助けてあげていたのが印象的でした。


モンテッソーリ教育に魅せられ、親の方針転換で私立幼稚園から中途転園させました。当時とても心配しましたが、スムーズにとけ込み、本人の柔軟な心に感心すると同時に、先生方のご配慮に大変感謝致しました。

少人数教育で一人一人としっかり向かい合う指導は、子供に自信と責任を自覚させ、他者をおもいやる心が育ち、幼少期の心の発達に良い影響を及ぼしたと思っています。

現在、県立高校より国立大学へ進学し、研修医3年目で、毎日休みなく、患者様のために、奮闘しております。親心としては、本人の健康が一番気になるのですが・・・。

A.S

 

【園から】

公共のバスで通園中、女子大生に席を譲ろうとして相手の方が恐縮されたそうです。


平成24年3月卒園児の保護者です。

モンテッソーリぬまたこどもの家は、次女が二歳から卒園までの4年間ほど通いました。自然がいっぱいの広い園庭、こども目線に合わせて整えられた園舎、ひとりひとり丁寧に温かく接してくださる先生方に見守られ、娘は大切な敏感期を過ごしました。

こちらに来て「こどもの敏感期」についてよく知ることになり、今までの育児のイライラ感から解放されたのを覚えています。たとえば、道路の縁石を歩きたがる、ティッシュボックスをからにするまでペーパーを出す、いろんなものをはさみで切る・・・どれも、危ないのでやってほしくないと思い、今までは否定の言葉で注意して止めていたことです。

しかし、敏感期の観点から見ると、このような行動はこどもの自立に向けて大切なプロセスであることをこどもの家に来て学ぶことになり、目から鱗が落ちる思いをしたのです。

それまで、こどもを見ていたようで大切なことを見ていなかったと反省しました。ゆっくりこどものペースに合わせて待てる気持ちのゆとりが生まれ、育児が大変さばかりでは無い、楽しみを持って向き合えるようになりました。

こどもの家には発達年齢に合わせて様々な教具があり、自由に選び、納得するまで遊びながら学べる時間が詰まっていました。日々、根気よく取り組めるように、先生方に支えていただきました。日々の達成感が次へのチャレンジに連鎖し、心の安定にも作用して聞き分けも良く困らせることが少なかったのは驚きでした。幸せな育児生活を送ることができました。

A.T

 

【園から】

年下のこども達を大切にし、一緒に遊んだり、教えてあげながら楽しく過ごし、困っている人を助ける人になりたいと言って卒園しました。その精神を受けついだこどもが、新しいこども達に自然に声をかけ、出来ない所を手伝っていました。